『わかりやすさの罪』武田砂鉄(著)
書評
執筆責任者:ていりふびに
私たちの周りには「わかりやすい」情報が溢れている。「〇分でわかる××」、「誰でも分かる××」は代表的な煽り文句である。今この文を書いている最中にも「煽り文句」の意味をネットで調べようとすると、「わかりやすく解説」が検索の上位に来る。どうしても「わかりやすく」したいらしい。そんな状況に警鐘を鳴らしているのが、今回私が紹介する武田砂鉄著の「わかりやすさの罪」である。たしかに、「わかりやすさ」は楽であり、私自身も求めてしまう時がある。この本の中でも述べられているが、複雑なことを複雑なまま自分の中に留めておき、簡単に正解を出さないというのは神経がすり減らすことになる。単純明快な回答を得ることで、安心する。しかし、大体は複雑なものであり。複雑なものは複雑である。私の体感では人々は自分にとって重要なものごとほど複雑なまま自分の中に保留することを恐れて、「実は「分かりやすく」、「シンプル」な解決策が存在する」と思い込もうとする。そもそも、解決策そのものがあるかどうかは分からないのではあるが。そして、その需要に答えるように「わかりやすい」答えは生み出されていく。この繰り返し、互いにブーストしあうことで、「わかりやすい」世界は生み出されている。では、この「わかりやすさ」から逃れ、複雑に考えればいいのか?それこそ「複雑に考えればよい」という「わかりやすい」解決策を求めていることになる。まず、本当に「わかりやすい」が罪なのか、複雑な状態で保留することがよいのか。「わかりやすい」、「複雑」とはなにか、改めて考える必要があるのではないか。この本が繰り返し提示しているのは自分で考えることの重要性である。本に書かれている理屈の流に従うのではなく、時には逆らい、考えながら読むことをお勧めする。
(743文字)
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