『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』山本茂美(著)
書評
執筆責任者:コバ
明治時代、そこには吹雪の野麦峠を越える製糸工女たちの姿があった。野麦峠とは日本アルプスの中にある古い峠道のことである。赤い腰巻にワラジをはいて、髪は桃割れに結い、背中にはふろ敷き包みをケサ掛けにしょって、工女たちは製糸工場の閉業する12月の暮れ、吹雪の峠路を飛騨へ帰っていった。明治のはじめ、後進国日本は「文明開花」「富国強兵」を合言葉に先進国の仲間入りを目指した。そして日清戦争では清国を打破し、その後の日露戦争でも日本は軍事的勝利をおさめた。その原因は日本がその両国を上回る軍艦と兵器を入手できたことにあるが、その軍艦・兵器を外国から輸入するための外貨は「生糸」によって得ることができていた。つまり日本の日清、日露戦争、その歴史の裏には生糸をめぐる女工たちの物悲しい歴史があったのだ。本書は、その製糸工女たちの生活、境遇、心情をリアルに描いている。現金収入の少なかった明治という時代、一家の大黒柱となるべく野麦峠を越え、過酷な製糸工場勤めを健気に全うしていた工女たちの姿。そんな「哀史」を訪ねるような読み方もできるが、しかし本書はそこでは終わらない。明らかに雇用主に有利な労働契約書、それを取り交わした後の製糸工場内での過酷な労働環境。成績の良い工女は褒められ賃金も上がり、成績の悪い工女は怒鳴り殴られ、賃金もとことん下がる。その賃金システムは等級賃金制という製糸女工全体に支払う賃金総額は予め固定されており、そのすでにあたえられた賃金総額を女工相互に競争させることによって取り合いさせるというものであった。その事実を知り、私は「哀し」というよりも、背筋に何か「ゾクっ」としたものを感じた。構造としての「搾取」というのはいつの時代もあるのか。そしてそれに対して「可哀想」という感想ではなく、背中にベッタリと張り付く「他人事ではない」という感覚を覚えた私。歴史を知ることとは、自分を知ることである。
(800文字)
追加記事 -note-
コメント