「現代優生学」の脅威

『「現代優生学」の脅威』池田清彦(著)

書評
執筆責任者:Takuma Kogawa
元来の優生学は、優秀な人間の血統のみを次世代に継承し、劣った者たちの血筋は断絶させるか、もしくは有益な人間になるように改良することで優れた者たちによる高度な社会が実現する、というものである。これを政治に応用したものとしてユダヤ人虐殺を推進したナチスドイツが最も有名である。現代では、胎児の染色体を検査して先天障害をもつ可能性がある場合は合法的に中絶することができるが、これも広い意味で優生学的思想に基づいた行為といえる。筆者は、優生学的思想が遺伝子の選別という旧来の優生学ではなく、社会的に有益でない人間――例えば高齢者や障碍者――を直接淘汰するという「現代優生学」に変化しているのではないかと主張する。安楽死の是非はたびたび話題になるが、現在の日本では認められていないものの、一部の国では合法となっている。安楽死を優生学的視点から支持するならば、「助かる可能性の低い命に人的・金銭的コストをかけることに社会的合理性はなく、したがって安楽死や自殺ほう助(≒死の自己決定)を認めるべき」となるだろう。筆者は、死の自己決定に反対しており、その理由を複数挙げている。例示すると、第一に、人間は自分の体や命を管理する権利を持っているだけで、所有しているわけではない、すなわち勝手に処分(死亡)することは間違っているということ。第二に、脳死や心臓停止など、死を判断する基準が一意でないものを自分で決めることに危うさを感じていることである。社会において優生学的思想が優勢になると、安楽死を選択しない人に対して厳しい目が注がれるのではないかとも懸念している。本書を読んだ印象として、合法的堕胎や安楽死の賛否に世代差があるようにも思われた。優生学的思想が社会にどのように根付いているのか、筆者の指摘は妥当なのか。若い世代が本書を読むことで、当たり前と思っていた価値観を見つめなおすきっかけになるかもしれない。
(796文字)

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