『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』岸圭介 (著)
書評
執筆責任者:Yujin
「言葉」には辞書的な意味だけでなく、その発言者が経験や気持ちからなる意味も含まれている。この事実が教育において、とりわけ小学生の学力に与える影響を、初等教育に精通している著者が考察したのがこの本である。「ごめんなさい」「聞く」「話す」「書く」「読む」「解く」などの言葉は、基本的ではあるが使用状況や発言者の意図などさまざまな意味を含ませることができる。これらの言葉を使って子どもに教育を施すとき、そのやり方はどうあるべきかということを述べている。普段から言葉の使い方に気をつけている者にとっては子育てや教育の場合になろうとそれは当然のことなのだ。しかし著者の教育経験からすると、どうもこの本を読んだ方がいい大人はそこそこ居るらしい。昨今のSNSにおけるやり取りを見るとよくわかるが、良い大人でも、自分の意図を正しく伝える努力をしない、あるいは相手の意図を正しく受けようとしないことがある。その上で言いたいことだけを言い合う、という地獄絵図が繰り広げられている。この事情を鑑みるに、教育においては教師は子どもに正しく意図を伝えなければならず、また、子どもには相手の意図を読み取る努力をさせるよう指導するべきだと考えられる。著者は最後の章で算数教育についても触れている。算数が苦手な子どもは、その原因が「言葉」の理解にあるという。「解けた」と主張する子どもは問題を別の視点で捉えられるか、あるいは「見直し」がただ眺めるだけになっていないかなどが学力に影響を与えるという。この説はある程度正しいとは思うが、算数ができない原因の多くを占めているわけではないと私は考える。算数教育界隈では掛け順問題に代表されるように複雑な問題が絡み合っており、算数ひいては数学が苦手となる最たる原因はなかなか定まるものではない。時折SNSでも問題視される算数教育問題についても、さまざまな視点で捉えることが望ましいと思う。
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