『なぜ美術は教えることができないのか』ジェームズ・エルキンス (著), 小野康男 (翻訳), 田畑理恵 (翻訳)
書評
執筆責任者:蜆一朗
著者のジェームズ・エルキンスはシカゴ美術館付属美術大学の教授で、美術史・美術理論・美術批評の講義を担当しており、本書はその経験から、「スタジオ」と呼ばれる制作現場において、「美術を学ぶ経験を意味あるものにするための方法を教師と学生に対して提供する」ことにある。第1章では古代の美術学校から現代の美術学校までを含む美術教育の歴史を概観し、各時代の学校がどのような思想に基づき何を重視して教えてきたのかを整理する。第2章では現代の美術学校および美術学科において教師と生徒の間で交わされる会話や提起される話題から、美術学校制度が彼らの制作活動をどのように規定しているのかを探る。特に美術学校の知的孤立と、美術学科での教育プログラムやコアカリキュラムについて興味深い考察がなされる。第3章は、スタジオでの美術指導に際して「美術を教えること」について、それが可能か否かについて考えられるさまざまな立場を検討しつつ、著者による悲観的な考え方が明らかにされる。第4章では、他学科のほぼすべてに見られる「試験」とは異なる指導形式である「批評」について、美術学校における実際の講評を例示しつつ、混乱をもたらしかねない特徴を考察し、その自由な形式が孕む問題を制御する方法が提案される。第5章では批評を改善するための著者による探求が行われる。著者が提唱する方式は、教師および学生がスタジオにおいて行なう営みを観察するためのものであって、よりよく意味のあるカリキュラムを構築するためのものではない、という点が強調されている。終章「結論」では、ここまでの議論もむなしく、現場で行われていることの理解について「懐疑論的であると同時に悲観論的な」三つの暫定的な結論が下される。しかしそれは、美術を教え学ぶことを理解しようとするための努力を意義あるものにするために、今後も言語化に励まなければならないという力強い覚悟の表れでもある。
(800文字)
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