『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』中川 翔子 (著)
書評
執筆責任者:Daiki
垂れ流していたラジオからしょこたんの本が道徳の教科書に載ることを知った。芸能人の文章が教科書に載るというので、気になって読んでみることにした。本書の主な主張としては「100%いじめている側が悪い。私もいじめられて死にたいと思ったこともあったけど、今は本当に死ななくて良かった。」概ねこのようなもので、私が注目していた生死観についての記述はほとんどなかった。関心は持つべきなのであろうが、私自身いじめについての議題に興味がない。死のうとも思ったこともないのだが、にもかかわらずこの本を読んだのは生死について彼女がどのように言及しているのか気になったからだ。死にたい人に「死んじゃだめ、この先絶対いいことがあるから」と説いて収まるのだろうか。否、収まるはずがない。死にたい彼らもそんなことは知っているのだ。抑止になるとすれば、本書に紹介される「隣る人」であろう。誰かの「隣る人」になろうとする働きかけは、いじめを無くすためのどんな議論よりも意味がある。著者は学生時代のいじめについての主張で「三軍にまで落ちました」「低カーストへ転がり落ちていきました」と記していた。これを読んで、一歩違う人生だったら彼女はいじめる側にまわっていたのではないかと感じさせられてしまった。言葉尻を捉えているようだが、先述の表現から人間を一部の能力の高低のみで評価し、自身の所属していたグループをも見下しているように聞こえる。悪気はないのだろうが、これが大きな問題ではなかろうか。辛く言ったが、悲劇のヒロインに見せるため彼女なりの精一杯の表現だったのかもしれない。道徳とは規範であって、生死を語るものではない。端から間違えていた。
(702文字)
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