うろん紀行

『うろん紀行』わかしょ文庫 (著, 写真)

書評
執筆責任者:Takuma Kogawa
ふだんの通勤通学や買い物では訪れないようなところに行ってみることに、私はわくわくする。これは旅行に限らず、住んでいる地域でもふだんは訪れないところは数えきれないほどある。本書『うろん紀行』は、様々な小説の舞台になっている場所に筆者がおもむき、そこで見て聞いて感じたことをつづったエッセイである。例をひとつ挙げよう。神奈川県にあるJRの海芝浦駅は、ある民間企業の事業所に隣接した駅であり、企業の関係者でないものはこの駅から出ることもできず、引き返すしかない。このような、関係者しか立ち入らないような場所は、鉱山のトロッコやシャトルバスなどで移動するものと思っていたから、このようなところが存在することそのものが不思議である。電車を降りても特にできることはないから、筆者は写真をとったり、一般客が唯一出入りできる小さな公園をぶらぶらしたりしていた。本来は関係者しか来ないような場所であるからこそ、かえって観光スポット化しており「変なところに迷い込んでしまった」という感覚が生じないようになっている。小説内の海芝浦駅は最果ての地として描かれており、結局どこにもたどり着けないのだという絶望を感じさせるようなものであったため、現実の海芝浦席とのギャップが大きい。小説に描かれている海芝浦駅、それを読んだ読者の頭に想起される海芝浦駅、そして現実の海芝浦駅。前のふたつは同じものであると思われるかもしれないが、実は頭に想起されるものは小説から読み取れるものでも現実を反映したものでもない、完全にオリジナルの海芝浦駅であると筆者は思い知った。小説は書かれて書店や自室の本棚にあるだけでは何の意味もない。小説は読まれてはじめて意味を持つ。また、読まれる時間や場所、読む人は異なるのだから、「同じ小説を読んだ」と表現することすらあやしい。私たちは何に立脚して小説を語らうのか、海芝浦駅は筆者や私たちに問いかけている。
(798文字)

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