『仏教とは何か』山折 哲雄 (著)
書評
執筆責任者:imadon
日本人の多くは無宗教であるとよく言われる。それでいて正月には初詣に行き、クリスマスには家族友人恋人とケーキを食し、結婚するときには教会や神社で式を挙げ、そして親類の死は葬式をして弔うので、宗教の「良いとこ取り」をしているとも言われる。日本人は宗教をほとんど「儀式」と同一視しているのである。その心的な部分には一切触れず、暦上の、あるいは人生における「イベント」として儀式を消費する。これが現代を生きる一般的日本人の宗教への姿勢であろう。仏教の代表的な儀式、それは葬式である。遺体を安置して死化粧を施し、読経ののちに火葬して墓地に埋める。その意義を理解していようがいまいが、誰かが亡くなったときには葬儀会社を仲介してこのプロセスを辿る人がほとんどだと思われる。しかし、この葬式というよく知られた儀式が、実は仏教の開祖、ブッダの意図に反するものであるかもしれないと聞いたらどう思われるだろうか。大パリニッバーナ経には、ブッダは弟子アーナンダにこう遺したと記されている。「アーナンダよ。お前たちは修行完成者(=ブッダ)の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ」。自身の死後、盛大な儀式を執り行うことを拒んだブッダの遺言に反し、アーナンダは遺骨を分配し、仏舎利の崇拝の創始者となってしまう。そういった意味で、仏教の歴史は、ブッダの教えに対する「裏切りの歴史」であると筆者は述べる。そして、教養としてのいわゆる仏教学は、その裏切りを無知のうちに継承してしまっていると。本書は、仏教の歴史や教えを、形式ばった学術的知識としてではなく、ブッダが覚者となる以前の苦悩をも踏まえて解説した本である。ブッダの人生を概観した上で仏教の歴史を眺めることで、仏教を単なる儀式としてではなく、真の「宗教」として理解することができるはずだ。
(776文字)
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