『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』近内悠太 (著)
書評
執筆責任者:あんまん
誰かのために何かいいことをしたとき、私たちは何かしらいい気持ちがすると思う。少しばかり誇らしくもある。なぜなら、ケアや利他は他者に導かれて現在の自分の認識枠組み、常識、暗黙の前提を手放し、私自身が変容する契機があるからだ。他者に導かれるというのがポイントだ。「私の利益、快楽」から始まればそれは偽善になりかねない。行動の出発点が「私」にあるのではなく相手にあるのである。だからケアや、利他において、自分自身に固執することができない。ケアや、利他は私の輪郭をおびやかす。まるで恋のように。さらに、著者の近内さんは利他行動の中に自由を見出す。利他が起こり、自己変容に至る時、私たちは既存の言語ゲームから異なる言語ゲームに飛び移っている。その瞬間、誰かに支配されることも、管理されることもない自由を回復する。まったく新しい世界に踏み入れるのにも似ていて、それからは、見慣れたものさえも目新しく、新鮮なものとして出合われる。他者に導かれてなされるケアに偽善は存在しない。そして勇気を持ってケアに利他に飛び込めと近内さんは言う。ケアや利他に正解など存在しない。愛が愛にならなかったとしても間違っていたことにはならない。誰かを愛するためのマニュアルなど無い。ただ、目の前の他者の傷と悲哀を慰めるために、言語ゲームから飛び出す勇気を持てという。そう断言してくれることで、私たちの利他行動の心のハードルを下げてくれる。ここでもう一度題名を確かめる。『利他・ケア・傷の論理学「私」を生き直すための哲学』である。注目すべきはサブタイトルの『「私」を生き直す哲学』の部分。相手の傷に導かれてケアを為し、利他が起こることで、相手が変わるのではなく、「私」が変わるのだ。この結論に辿り着くまでの過程を楽しみながら読み進めてもらいたい。
(754文字)
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