潮騒

『潮騒』三島 由紀夫 (著)

書評
執筆責任者:西住
『潮騒』は1954年に発表された三島由紀夫の小説である。三島と言えば「金閣寺」や「春の雪」などが有名である。それらの作品に共通するのは「美」と「死」である。自分の中にある像としての「美」とその先にある「死」は三島の人生を貫くテーマであったと思うし、本人も文学としてだけではなく、実際の人生をそのように生き抜いたのだと推測する。ただ、この潮騒には、「美」も「死」もない。通常の小説として、三島の筆力に基づいた美はもちろんあるのだが、あのいつもの危なっかしい、陰鬱とした「美」はない。そして「死」もない。「思想」も「哲学」もない。三島のテーマである「美」も「死」もないなら、潮騒には何があるのか。驚くべきことに、潮騒はごく単純な純愛小説である。歴史に残るような描写力と、深い哲学を持った人間が描いた、シンプルな純愛である。カラッとした晴れやかな作品である。もはやライトノベルと言っても良さそうなくらいのものだ。そもそも三島は一般的に思われている作家像とは異なり、幅広いジャンルを描いた作家である。『夏子の冒険』のような、これまたシンプルなエンタメ小説もある。なのでシンプルな純愛小説があっても、おかしいところはない。思想性を全面に押し出した作品ばかりでもない。ないのだが、やはりいつもの「美」と「死」に触れていると、全く異なる印象を抱くことは間違いない。この純愛小説は、大人になると無くしてしまう「何か」を呼び覚ますものだ。三島は、その「何か」を忘れないために、この作品を書いたのではないかと思う。おそらく三島はどこを向いても、その事象に対する洞察力が発揮される人間なのだろう。この作品は成長していくにつれて変遷していく恋愛観と、変遷するにつれて無くしてしまったものに対する喪失感に、その洞察力を当てた作品だと言える。
(757文字)

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