子供の死を祈る親たち

『子供の死を祈る親たち』押川剛(著)

書評
執筆責任者:マッキー
家族とは実に不思議なものだ。私たちは他者と様々な人間関係を結び、その複雑な関係の束を整理し理解するため、そこにラベリングを行う。時にお互いが認識するラベルが食い違うこともある。私の“親友”にとって私はただの“同僚”だった、といったように。しかし“家族”は違う。“家族”は常に“家族”である。所与のものとしてそこに在り、実態にラベルを貼るのではなく、ラベルに実態を合わせに行くべく、親は“親”であろうとし、子は時にうんざりしながらも“子”としての役割を精一杯演じる。こうした、お互いが本来持っている性質を置き去りにしたロールプレイングは、時に大きなゆがみを産む。本書はこうした家族におけるゆがみの極致に入り込む『精神障碍者移送サービス業』を営む著者によるドキュメントである。 精神障碍者移送サービスとは何ぞや?という方も多いと思う。通常、精神疾患を患う人が入院をするか否かは最終的には本人の判断であるが、本人に自傷・他害行為の兆候が認められる場合は、警察官通報により措置(強制)入院となる。しかしながら、この警察官通報は本人が社会と隔絶し、診察等を固く拒んでいるような状況においては中々機能しない。例えば、本人が長期引きこもり状態となり、家族への暴力を伴う異常行動をとっているような状況に公権力が入り込み解決することは非常に困難である。こうした “私”と“公”の間のエアポケットを埋めるサービスが精神障碍者移送サービスである。もちろん賛否はある。結局引きこもりの子供を追い出す手助けをしているだけじゃないか?との批判もある。批判・賛同どちらの立場においても、こうした家族の極致ともいえる特殊状況を正視することで初めて見えてくるものもあるのではないだろうか。 自身を取り巻く“家族”から一度、ラベルを外してみて、そこに在る実態を見つめ直すきっかけとして、本書を手に取ってみても良いのではないだろうか。
(799文字)

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基礎教養部

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