クマにあったらどうするか ――アイヌ民族最後の狩人

『クマにあったらどうするか―アイヌ民族最後の狩人』姉崎 等 (著), 片山 龍峯 (著)

書評
執筆責任者:けろたん
ニュースの向こうの存在としてしかクマに接しない私にとって、クマは、ワンダーフォーゲル部を襲ったり、山菜採りの人を怪我させたり、かと思えば80歳を超えるおじいさんに撃退されていたり、流氷に取り残されて困っていたり (シロクマ) 、冬は冬眠するということぐらいしか知らない、馴染みの薄い動物である。本書は、1923年に北海道に生まれ、22歳からクマ撃ちとなり、1990年の狩猟禁止までに生涯で60頭以上ものクマを獲り、クマを知り尽くした狩人、姉崎等さんへのインタビューである。読者は、一問一答形式で引き出されていく姉崎さんの言葉から、近代化されて間もない北海道におけるクマと人との関わりや、ハンターが狩猟を行う際の数々のテクニック 、アイヌ民族に伝わるクマの狩猟法や神話での語られかたなどを知ることができる。中でも「クマにあったらどうするか」と第された5章と以降の章では、「人がクマを恐れているように、クマも人を恐れている」という一見逆説的ながらも狩人としての数々の遭遇経験で培われたクマに対する洞察をもとに、一度きりの遭遇を切り抜けるだけでなく、クマと人間との長期的な関わりを模索するための、エコロジー論とも呼べるような言葉が語られる。姉崎さんの見立てによると、有史以来、人がクマを狩りの対象として狩猟してきたことで、人を恐れるクマが生き延び、人を恐れる性質が受け継がれつづけて、人とクマとの棲み分けが成立したというのだ。にも関わらず、近代化以降そのバランスを人間が崩してしまったことで、クマによる家畜の襲撃といったショッキングな出来事が引き起こされている。クマが「凶暴化」したといっても、数十年、数世代単位であれば遺伝子が全く変わってしまっているはずはない。クマを取り巻く環境が変わってしまったのはなぜか、それを変えたのは誰なのか考えると、クマよりも人間を恐ろしいと思うかもしれない。
(792文字)

追加記事 -note-

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

ジェイラボ
基礎教養部

コメント

コメントする

目次