『純粋異性批判』中島義道 (著)
書評
執筆責任者:Yujin
タイトルを見た段階でおそらく世の女性の9割以上は不快になり読もうとしないであろうこの本は,決して女性を侮蔑することを目的としたものではない.と言いたいところであるが, さすがは中島義道先生,(本人なりに抑えているのかもしれないが)必要以上に「嫌い」が本書のところどころに散りばめられている.しかしその部分を除けば,本書は『純粋理性批判』の入門書,あるいは「女」という具体例を用いた『純粋理性批判』の解説書としての役割を果たすものであると思う.タイトルの通り,本書における論の展開はカントの『純粋理性批判』になぞらえている.従って,「理性」というのも一般的な意味合いを持つ理性ではなく,カントによって完成された西洋の近代哲学としての理性を指す,そういう前提があるか,本書は女性を「考える脳がない」などとただ馬鹿にするだけの内容ではないことがうかがえるであろう(更に中島先生を知っている人は,そう言いつつも度を越えた毒舌があることも想像に難くないだろう).本書が女性論を語る他の書と異なる点は,一般に女性が被差別者であることをはっきり確認したうえで批判をしているということだ.カントが示した「理性」とは近代ヨーロッパの男性の理性であり,そこには女性は全く考慮されていない.それを踏まえて,男性理性から見た女性の(中島先生曰く, 奇妙奇天烈奇想天外な)非理性的行動を批判しようというわけである.しかし,本書の結論は「女性の行動が非理性的である理由」にとどまるものではない.男性理性,それも近代ヨーロッパに住んでいた人々の理性をベースに置く「哲学」の適用限界についても語られている.というのも,女性を批判する我々も近代ヨーロッパの男性ではない,つまり「哲学」からは差別を受けている身なのだ.その事を念頭に置きながら我々が『純粋理性批判』を読む意義とは何かを考えるきっかけをも与えてくれる.
(790文字)
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