『「善さ」の構造』村井実(著)
書評
執筆責任者:シト
今回、私が紹介するのは『「善さ」の構造』だ。この本を読むきっかけになったのは、教育でよく言われる善い教育というものに違和感を覚えたというものだ。この本は、序、第一章~第五章で構成されている。それぞれの章はいずれも、筆者の私たちの仲間のひとりひとりが「善く」生きることを真剣に考えるようになってほしいという願い、私たちの社会がその意味での「善さ」を原理とする社会として立ち直ってほしいという願いが込められている。現在の社会は、「快楽」と「欲望」と「権力」の季節が訪れている。それでも筆者は自身が願う「善さ」の季節に向かわせるためにこの本を書いている。我々は日常生活で何の疑いもなく「善さ」という言葉を使っている。では、その「善さ」とは何なのだろうか。この本に書かれている「善さ」とは、真・善・美といった硬度をもった概念ではなく、日常的に存在する生きた善さのことだ。たとえとして教育を挙げると、親は子を国は国をよくしようとして教育を受けさせるないしは行っている。しかし、本当にそうなっているかというと必ずしもそうであるとは言えない。よくなったと勘違いしているだけなのかもしれない。教育の段階が上がるにつれて、子はよくなっているとは必ずしも言えないし、高卒よりも大卒の方がよりよい人間になっているとも必ずしも言えない。このような皆が善いとおもって行ったことが違う結果を生むという逆説を考えるために広い意味での善さが必要だとしている。この本にはよく「善さ」を求めることが人間の根本的特性だということが書かれている。様々な状況の中で「善さ」が求められ、「善さ」が選択されるのを古今東西にわたる人間の営みのなかから「善さ」の本質を明らかにしていこうとしている。
(724文字)
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