『おしゃべりな脳の研究』チャールズ・ファニーハフ(著) 柳沢圭子(翻訳)
書評
執筆責任者:あんまん
ページをめくる音、カリカリと鉛筆が出す音だけが試験会場で響き渡る。しかし、頭の中ではあらゆる言葉が絶えず脳内を駆け巡る。「加法定理を使えばうまくいくかな」「ヤマ外したわ」「あっ、これ〇〇ゼミでやったところだ!」誰にでも、自分の頭に言葉が浮かぶ経験はあるだろう。私は自分の脳みそがおしゃべりな人にこの本を薦めたい。いつも心の中にある言葉が、自分の思考にどんな影響を与えているのかを考えるヒントになるだろう。ただし、内言というのは、自分の考えを独自の直接性で知ることはできるが、自分自身の考えしか知ることができないため、その研究は一筋縄ではいかない。自分自身の考えを省察することは「暗闇がどう見えるかを知るために、素早くガス灯をつける」ようなものであると、ウィリアム・ジェームズの言葉を筆者は用いる。そこで、心理学や脳科学を参照した科学的なアプローチから、ジュリアン・ジュインズの「神々の沈黙」などの文学や歴史を参照した人文学的なアプローチまでさまざまな角度から心の中の声について探究してゆく。この本は筆者の研究内容を一般向けに書いた本であるが、心理学者で、小説家としても活躍する筆者の腕は確かで、娯楽としても面白く、読む手は止まらない。また、この本は、声が例外なく重い精神疾患の兆候だと見なすのは間違った考えだと主張する。筆者は「幻聴」という言葉の代わりに「聴言」と言う言葉を使う。「幻聴」と言う言葉には否定的なニュアンスがあるからである。実際、一般人の5〜15%が聴言を1回以上経験していると推測されており、聴言と良好な関係を築いている人についても紹介されている。内言について結論ははっきりと示されていないが、最終章では自身の研究について振り返り、その課題についても書かれている。まだまだ、発展途上ではあるが非常に興味深いテーマを扱った本である。
(773文字)
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